柘榴

つばさ 渉

 

 

 

※この話は秋の配達人に加筆。別エンディングへ進みます。

 

 

 君の家の銀色のポストに紅葉の葉を一枚入れた。

 今年も君に秋を知らせにきた。

 

 

 ポストに入っていた紅葉の葉を掌にのせた。

 破れない様に優しく、両手でその感触を楽しんだ。

   私は秋を感じる。

 

 

 次は団栗をと思い家に行ったら、君の妹に見つかった。  

彼女は怪訝な表情で僕を見ている。いや、睨んでいる。

「何か…御用でしょうか」

「い、いえ、あ、いえ」  

僕はしどろもどろになった。

そんな僕の態度に彼女は一層険しい表情になり、警戒を強めている。

その視線に耐えられず僕は、軽く会釈して足早に立ち去った。

  

「お姉ちゃん!お姉ちゃん!」

 由樹は階段を駆け上り姉の部屋に飛び入る。

 

「どうしたの?」

「今ね、変な奴いたんだよ!」

「変な奴」

「うん。この前も家の前をウロウロしてた!お姉ちゃん一人で外出しないでね。私、一緒に行くから!」

 由樹は優しくて強い妹だ。

 由樹は私の瞳だ。

 「由樹、その人はきっとね…」

 由樹はベッドに座る私の隣に腰を下ろした。

 「きっと…?」

 「きっと、秋の配達人だと思う」

 「秋の、配達人?」

 「うん」

 

  

 秋の配達人は、いつかの秋に現れた。

 私は毎朝七時に新聞を。また週に何度か午後四時過ぎに郵便物をポストに取りに行く。

 そのいつかの午後四時過ぎ、ポストの中には手紙やチラシと一緒に紅葉の葉や銀杏の葉が一枚だったり数枚だったり入っていた。

 子どもの悪戯だろうと思って、あまり気に留めなかった。それに毎日のことではないし秋だけのことだったから、意識する前に忘れてしまった。

 でももう何年もそれが続いている。

 

君の弾くバイオリンの音色を初めて聴いたのは、四年前の秋風吹く九月の終わりだった。

僕はバイオリンの事はよく分からないけれど、二階の少し空いた窓から聞えてきたその音色に足を止めていたんだ。

ずっと聴いていたいと思った。

 

君が盲目だと知ったのは、それから数日後のこと。

大学の講義が終わり、その日も彼女のバイオリンが聴けるだろうかと胸躍らせ、僕は歩調を緩めて彼女の家の前の静かな通りへと進んでいく。

しかしその日は聴こえてこなかった。向かいの家の柘榴の実を見ている振りをしていた僕は少し落胆しふっと溜息をつく。

すると、彼女の家のドアが開き中から女性が出てきた。

白い丈長のブリーツスカートにグレーのVネックのカットソーという恰好。ストレートの黒髪は肩にかかるくらい。僕より年上に見える。

 彼女はほんの少しのポストまでの距離を、ゆっくりゆっくり歩いていた。

 彼女の瞳は、ポストでもなく僕でもなく空でもない、無を仰いでいた。

ようやくポストにたどり着いた彼女は、中を探り郵便物を手にすると、またゆっくりゆっくりと歩みを進めて家へ戻っていった。

 僕は思った。

 バイオリンを弾いているのは彼女に違いないと。

 

彼女のバイオリンの音色を聴かせてもらったお礼に…だなんて勝手で烏滸がましいけれど。僕は秋が好きだったから、彼女に秋を知らせたくて、ポストに秋を届けることにしたんだ。子どもみたいだけれど、紅葉や銀杏の葉、木の実を秋になると時々彼女のポストへ入れるようになった。

 

 

 

「あ…団栗」

 今日は団栗が五つ入っていた。

 両手でそれを包み持ち、私は秋の配達人さんへ向かって会釈した。

 向かいの田中さん宅、柘榴の木の傍らに彼が立っていたから。

 立っていた、気がしたから…。

 

 

 どくんどくんどくん…。

 僕の心臓は音を立てて叫んでいる。

 君が家に戻ってからも僕は、しばらくその場から動けなかった。

 だって君は、僕の瞳を真っすぐに見つめて微笑み、会釈したんだから。

 

 

 君のバイオリンの音色は、僕の好きな秋によく似合う。

 

 

 

 

 

おわり

 

 

 

 

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バイオリンの彼女こと谷川静(タニカワシズカ)と、それを聴いていた僕、瀬場優深(セバユウミ)は、付き合って半年になろうとしていた。

 

こんな事、説明がつかないし信じてもらえないと思うけれど、彼女は僕といる時は見えるみたいで。眼鏡をかけると更に視力があがり、読書やショッピングを普通に楽しめるようになった。

 彼女は、僕といると不自由ない日常を経験出来るから、付き合っているのかもしれない…。ふとした時に、彼女はとても悲しそうな表情を浮かべる。それを見てしまってから僕は、そんな風に思うようになった。

 だけど、僕は彼女が好きだから、今のこの時間を大切にしようと思う。

 

 

 「ユウミ、ドレニスル?ネエ、ユウミ?優深?」

 「え」

 「どうしたの?」

 彼女は不思議そうに僕の顔を覗き込んでいる。

 ここはカフェ。

 今日は、映画を観にきた。上映時間まで時間を潰そうと入ったカフェだ。

 トコちゃんと初めての、映画デート。

 トコちゃんとは、僕が彼女に付けた愛称。いつかトコトコと元気よく歩いてほしいから、トコちゃん。

 「あ、ごめんごめん。そうだな…じゃあアイスコーヒー」

 「私は、ミルクティーにしようかな」

 今日の彼女はそわそわしていている。嬉しさと興奮と入り交ざっているみたいだ。初めての映画鑑賞だから無理もない。

 「あ、パンケーキも食べようかな」

 「うん」

 「一緒に食べようよ」

 「うん」

 

 

 

 「優深、ねえ優深」

 彼女はいつもより酔っていた。映画を観て食事して、バーへ行った。

 家路の途中通るいつもの公園。

 彼女は僕の手をひいてベンチに座る。目の前の池の水面が静かに揺れている。

 僕は足元にあった銀杏の葉を一枚拾う。

 「トコちゃんに問題です。これは雄と雌、どちらでしょう」

 「オスとメス?」

 「うん。銀杏は、雄の木と雌の木があるんだ。その見分け方はね、葉の形で分かるの」

 「わあ!優深博士みたい。えっとじゃあ…」

 彼女はもうほとんど見えないみたいだ。今日は朝から目を酷使したから疲れたんだろう。瞳を閉じて、銀杏の葉を丁寧に触り確認している。

 「…雄」

 「ファイナルアンサー?」

 「ファイナルアンサー!」

 僕は昔やっていたクイズ番組の真似をして効果音を口ずさむ。

 「どきどきするー」

 彼女は手を合わせ祈る。

 「……せいかーーーい!」

 「やったー」

 彼女は手をたたいた。

 「ここの真ん中部分が割れてる葉が、雄なんだ」

 僕は彼女の右手の人差し指で、銀杏の葉の周りをなぞらせた。

 彼女は嬉しそうに、自分で何度もその葉をなぞっている。

 

 

 「優深くん、今日は本当に本当に、ありがとう」

 彼女は言い、改まって深々と頭を下げた。今日彼女は何度も、僕にお礼を言っているんだ。

 「そんなに改まることないのに。これからも映画観よう」

 すると、彼女は不意に泣き出した。

 「どうしたトコちゃん。よしよし」

 僕は彼女の背に手を添える。

 「私…私…」

 彼女は声を押し殺して泣いている。

 「トコ?静?」

 「私は…私は…」

 

  

 彼女は、父親からの性的虐待を僕に打ち明けた。

 盲目の彼女に対して父親は、想像しがたい虐待を何年も続けていた。

 僕が彼女を知った頃、両親は離婚して母と彼女と妹の生活が始まった時だった。

 「そうか、そうか。話してくれてありがとう」

 僕は彼女の背中をさする。彼女は身体を震わせ、静かに泣いた。

 

 

 もうすぐ梅雨入りだろうか。田中さん宅の紫陽花は、青い花を咲かせ始めている。

 今日は代官山の蔦屋に行く。

 「ちょっと早かったけど、いっか」僕は腕時計を見て呟いた。そして彼女の家のドアノブに手をかけた時。

 「お姉ちゃん、優深さんのこと好きだよね?」

 ドアのすぐ向こうから彼女の妹の声。その言葉に僕は息を飲み、ドアノブに掛けた手を離す。

 「優深といれば見えるし、ラッキーよねほんとに」

 「お姉ちゃん…優深さんのこと大切に想ってるから、お父さんの事だって打ち明けたんでしょ」

 「どうだろ…別れる理由ないし。正直…男なんて、男なんて地獄に堕ちればいい」

 

 

 

走った。

走った。

走った。

 何処へ向かって走っているんだろう。どのくらい走っただろう。

 喉がカラカラで、足が縺れてアスファルトに派手に転んでしまった。

 右膝にビリビリと痛みが走る。両掌が擦れて血が滲んでいる。

 目の前にあった電柱脇に座り込む。

 涙がこぼれてきた。

 僕は声を上げて泣いた。

 

 

 「男なんて…全員、地獄へ堕ちればいい」

 静は淡々と、再度言い放つ。

 「…」 

 「私は、もう一生男性を信じることは出来ないと思う。優深といても時々物凄く怖いんだ」

 静は寂しそうに言った。

 「でも、優深さんは、お姉ちゃんにとって大切な人になるかもしれないよ」

 「そうだね…。だけど」

 静は言葉を絞り出すように「どうしても、怖い」と言った。

 静の頬を涙が流れた。由樹はハッとして姉を抱き締めた。

 「お姉ちゃん、ごめんね、ごめんね…」

 

 

 

 

  

 

 

 僕の心は、もがいてもないのに底なし沼にどんどん沈んでいった。身体がだるくて、何をする気力もわいてこない。ただ涙が時折、流れた。

 もしなければ僕は今もまだ、薄暗い街の中にいただろう。

 通院して数ケ月。あの時の静の言葉は、今でも僕の中から消えないでいるけれど、僕は日常を取り戻しつつあった。

 

 

 空を見上げることが出来る。

 電車に乗り街へ出ることが出来る。

 病院には僕みたいな人が沢山いて、日常を生きていけるよう治療している。

 

 

 

 

 生きることは奇跡だ。

 今僕は、死なないで良かったと心から思っている。

 時々、

 彼女の声を思い出す

 彼女のバイオリンの音色を思い出す

 彼女の瞳を思い出す

 僕は好きだった、彼女がとても。

 

 

 彼女との思い出は大切だったと思えるようになってきた。

 僕の心は元気を取り戻しつつあるみたいだ。

 

 

 

 

 大好きな秋、僕は電車に乗り街へ出た。